長岡花火の発展に尽力 花火師嘉瀬誠次さんに長岡市民大賞を贈呈


長岡花火の発展に尽力 花火師嘉瀬誠次さんに市民大賞を贈呈

長岡市の名を高めるとともに広く市民に敬愛され市民に明るい希望と感動を与え、市民の自信と誇りを醸成したことに顕著な功績のあった人に贈呈します。
このたび、長岡花火を長年にわたり育て発展させた花火師の嘉瀬誠次氏の功績をたたえ、長岡市民大賞を贈呈します。
平成12年(2000年)シドニー五輪銀メダリスト中村真衣さんに続く2人目。

長岡市民大賞贈呈の理由

長岡花火は、慰霊と平和を祈る花火として多くの共感を呼び、“世界一”とも言われています。
その中で嘉瀬氏は、戦後初の正三尺玉の打ち上げなど、長岡花火を育て発展させてきた最大の功労者です。さらに、嘉瀬氏が生み出した慰霊の花火“白菊”は、平成15年から長岡まつりで打ち上げられ、昨年は県内全市町村と全国7都市でも打ち上げられるなど、その知名度は年々高くなっています。
そして、戦後70年の昨年8月、ホノルル真珠湾における白菊をはじめとする長岡花火の打ち上げが実現しました。全世界に慰霊と平和の願いを発信し、人々に感動を与えたことで、長岡花火は世界に誇れる市民の宝となりました。
そこで、これまでの嘉瀬氏の長岡花火に対する功績をたたえ、市民大賞を贈呈します。

長岡市民大賞贈呈式

・日時4月27日(水) 午後0時45分~1時15分
 (注:4月25日発行「市政だより5月号」掲載の時間から変更になりました)
・会場:アオーレ長岡ナカドマ
・内容:市民大賞の贈呈、小学生(脇野町小学校6年生)などによるお祝いの言葉

功績をたたえ記念写真展を開催

嘉瀬氏が打ち上げた正三尺玉をはじめとする長岡花火や活動の様子の写真などを展示します。
・日時:4月27日(水)午後1時~5月3日(祝・火)午後4時
・会場:アオーレ長岡ホワイエ

長岡市民にとって正三尺玉は特別な花火

「みんなが花火を楽しめる平和な世の中であってほしい」
「花火は人を元気にし、勇気付けることができる」

嘉瀬さんの代表作、長岡まつり大花火大会の名物花火の一つ、正三尺玉。
見る人を魅了してやまない花火技術の最高傑作です。
直径90cm重さ300㎏の巨大な玉が上空600mに打ち上げられ、直径650mもの大輪の華を咲かせます。
嘉瀬さんは、昭和26年、「戦災復興祭」から「長岡まつり」に名称を変えた年、戦後初となる正三尺玉を復活させ、趣向を凝らした名物花火を生み出すなど、長く長岡の花火の発展を支え続けました。
長岡花火が慰霊と平和の花火として全国、世界に知られるようになったのは、嘉瀬さんの功績があります。

「白菊」は戦友を弔う手向けの花火

「白菊は、私が心を全部つぎ込んで命名した花火」

毎年8月1日、昭和20年(1945年)の長岡空襲があった午後10時30分に白一色の尺玉花「白菊」を3発打ち上げています。
空襲で犠牲となった1,486人に手向ける慰霊の花火です。
嘉瀬さんは、シベリア抑留を経験し「生きて帰れなかった戦友のために花火を手向けたい、という思いから68歳になった1990年にハバロフスクのアムール川河畔で花火を打ち上げました。
「手向けの菊のように真っ白な花火を」とつくったのが「白菊」です。

受賞を聞いて嘉瀬さんの思い

今考えるといろいろ苦労してきました。
長岡花火を有名にしたいと努力してきました。
日本一の名前があるからには、日本一の花火をつくろう。
花火大会が有名になればなるほど、負けないぞという気持ちでいました。
オリンピックの閉会式で世界中の人に見ていただいたことは名誉、だと思っています。
嘉瀬の花火は、長岡の花火。自分は一生懸命やっただけです。
受賞は身に余る光栄。本当にありがとうございます。

嘉瀬誠次 かせせいじ

大正11年生まれ94歳。
祖父の代から3代続く長岡の花火師。14歳で父に師事し花火師に。
昭和18年に出兵、終戦から3年にわたる。シベリア抑留を経て帰郷昭和26年父とともに長岡まつり大花火大会で戦後初の正三尺玉の打ち上げに成功。長生橋の仕掛け花火ナイアガラやミラクルスターマインなど、規模が大きい名物花火を数々生み出した。
平成16年の正三尺玉の打ち上げで一度は現役を退くが、花火関係者に2年越しで復活を懇願され平成18年の市政100周年記念「世界の花火ショー」で自身最後となる正三尺玉2発を打ち上げる。その技術の高さで嘉瀬さんの名前は世界的に知られ、ニューヨークでの自由の女神100周年、ロサンゼルスオリンピック閉会式など海外での打ち上げ経験は12都市27回と多数。
2016年4月11日吉川英治文化賞を受賞した

嘉瀬誠次さんの経歴

嘉瀬誠次氏 略歴

1922(大正11)年 花火師である嘉瀬誠喜氏の長男として生まれる。
1936(昭和11)年 14 歳で父の営む嘉瀬煙火工業に従事、花火師の道に入る。
1943(昭和18)年 現役兵として入隊
1945(昭和20)年 終戦と同時にシベリアに抑留される。
1948(昭和23)年 復員
1951(昭和26)年 長岡市から「三尺玉」復活の要請を受け、父・誠喜氏とともに検討し三尺玉を復活。戦後第1回目の打ち上げ成功
1953(昭和28)年 長生橋の美しさを生かした「ナイアガラ」を提案、新作花火として発表
1983(昭和58)年 三尺五寸玉を打ち上げ(火薬量 120kg ※現在は 80kg まで)
1986(昭和61)年 市制 80 周年記念事業「光と音の祭典」で、冨田勲氏の音楽と共演。10号早打ち 80発のダイナミックな花火を打ち上げる。以後毎年、1発ずつプラスされ新しい名物となる。
1988(昭和63)年 ブラジルの勲章コメンダドール受章
1990(平成2)年 旧ソ連ハバロフスクにて、シベリアで共に抑留された戦友のために追悼の白い花火「白菊」を打ち上げる。
1995(平成7)年 新潟県経済振興賞受賞
1996(平成8)年 神戸まつりで阪神淡路大震災復興祈願のスターマインを打ち上げる。市制施行90周年ファンタジック・イルミネーション in 信濃川でサーチライトとシンセサイザーの演出
多年にわたり花火師として花火の芸術性を高め、国内外に長岡花火を紹介された功績により、長岡市表彰受賞
2002(平成14)年 花火技術向上への貢献、国際交流等の功績により、新潟日報文化賞(社会活動部門)受賞
2003(平成15)年 長岡空襲と同時刻の8月1日午後10時30分に「白菊」打ち上げ(以降、毎年)
2006(平成18)年 長年にわたる長岡花火大会への貢献に対し、長岡市から感謝状を授与同年8月、市制100周年記念事業[世界の花火ショー]で、韓国・中国・アメリカのスターマインと共に、長岡のスターマインを打ち上げる。また、嘉瀬誠次最後の三尺玉、2発連続打ち上げに成功
11月、長岡市から「功労をたたえる証」を贈呈
2011(平成23)年 観光振興により、新潟県知事表彰受賞
火薬類保安原子力安全・保安院長表彰受賞
2016(平成28)年 4月11日 第50回吉川英治文化賞受賞

海外での主な打ち上げ実績

1984(昭和59)年 ニューオーリンズ河川博で正三尺玉を含む長岡花火を打ち上げる。
ロサンゼルスオリンピック閉会式で打ち上げる。
1986(昭和61)年 ニューヨーク自由の女神百年祭で打ち上げる。
1988(昭和63)年 ブラジル・サンパウロの日本人開拓移民80周年記念で打ち上げる。
アメリカ独立記念日にシアトルで打ち上げる(~2002年まで毎年)。
オーストラリア建国200周年記念で打ち上げる。
1990(平成2)年 戦友の眠る抑留先のソ連・ハバロフスクで、日ソ友好親善行事として打ち上げる(略歴記載事項と重複)。
1994(平成6)年 アメリカ独立記念日にフォートワースで姉妹都市締結7周年記念として打ち上げる。
1997(平成9)年 オーストリア・リンツのアルスエレクトロニカで富田勲氏と共演
2000(平成12)年 フィンランド・ヘルシンキで開催された「新世紀を祝うイベント」でミレニアム記念花火を打ち上げる。

Posted by 長岡市ウェブサイト