「平和の使者に」長岡とホノルルの学生が共同宣言

「平和の使者に」長岡とホノルルの学生が共同宣言 | 長岡市

5日~10日、長岡の高校生・大学生12人が、平和学習でホノルル市を訪れました。
真珠湾追悼式典や戦艦ミズーリの見学、国立太平洋記念墓地(パンチボウル)での献花、同世代の学生と意見交換などを行い、平和について考えました。

超過密スケジュールの中でも、事前学習を重ねてきた学生にとって大きな課題とされたのが、太平洋戦争に従軍したジェリー・イエリン著の「黒焦げの水筒」を読み、平和について深く考えること…。

真珠湾攻撃の前日6日早朝(日本時間7日)、ハワイの名門、カメハメハスクールの生徒と共に、1992年から毎年開催される「黒焦げの水筒慰霊祭」に出席。
主催する医師・菅野寛也さんの思いに賛同する日米双方の人々の姿に触れました。

続いて、真珠湾攻撃75周年を記念し特別に開催された「青少年平和シンポジウム」に参加。
進行役のオバマ米大統領の妹、マヤ・カッサンドロ・ストロさんらを前に「黒焦げの水筒」を学び、みんなが抱いた思いをエッセーとして発表しました。

そして、磯田市長や、会場となった太平洋航空博物館の館長、菅野さん、イエリンさんら立ち会いのもと、平和共同声明を読み上げました。

磯田市長は「結果だけではなくてプロセスが大事であると言っていましたね。
一人ひとりがいろんな思いを持ったと思います。その思いが大事。
帰ってからいろんな人に話したり、将来にどう活かしていくかが大切で、平和を願う未来への思いが実現する過程なんだと思います」。

写真でお分かりのとおり、6回目の今年は全員が女性。
「私たちはすごいことを経験できたんだなと思います。
でも平和について考えることは特別すごいことをしている訳ではなくて、きっかけがあれば誰でも考えることができます」。

真珠湾攻撃75周年で、多数の海外メディアが注目する中、自分たちの考えを堂々と発表したり、インタビューに応えたりする姿はキラキラと輝いて誇らしいものでした。
みなさんお疲れさまでした。

黒焦げの水筒の慰霊祭

1945年6月の静岡空襲時、上空で衝突し墜落死した米兵の遺品である水筒を使い、静岡市在住の医師・菅野寛也さんが1992年からアリゾナ記念館で行う慰霊祭。
水筒には握りしめていた米兵の指跡が残っていて、壮絶な最期を物語っています。
菅野さんは毎年日本から持参した水筒を使い、日米両国の犠牲者の冥福を祈り、アリゾナ記念館から海へ献酒しています。

日米の学生による共同宣言

「私たちに求められているのは、平和の使者として活動、行動する勇気です。次世代を担う私たちは、多くの先人の思いを引き継ぎ、自分の得意なこと、好きなことを活かして、恒久平和のためにそれぞれが活動し続けることを誓います」。

黒焦げの水筒 青少年シンポジウムで、12人で考えたエッセーを発表

「黒焦げの水筒の学びを受け継ぐ若い世代として、和解を慎重に進めること、平和に向けてアクションを起こす勇気を持つこと、そして異文化について知ることの価値が重要だと思います。心を開き、先入観を持たず、この本で得た知識やこの場で感じたことを身近な人への発信から始め、私たちは平和の使者としての一翼を担います」。

Posted by 長岡市 2016年12月9日 20:23